自己を知る
3枚の鏡から映し出された自分とはどんな姿をしているのでしょうか
自分自身を見るには鏡に頼るしかありません
その自分を映し出してくれる鏡には3枚の鏡があるとお釈迦さまは説かれています
①自鏡・・・自分自身を自分の心という鏡を通して見つめてみる姿
②他人鏡・・他人の心に映し出された自分の姿
③法鏡・・・真実の仏の眼で映し出された自分の姿
さて、どの鏡が本当の私を映し出してくれるのででょうか?
①の自鏡は、自分に都合の良いように解釈して映し出される姿です
例えば、自分はハンサムとはおこがましくも言えないが、アイツよりは男前だと思ってしまう鏡です
②の他鏡は、自分の都合で良くも悪くも変わって映し出される姿です
自分にとって都合のよい場合の相手を善人とほめ、一度自分にとって都合が悪くなれば、いつでもどこでもすぐに悪人と謗る(そしる) 自分のご都合主義で他人への見方が変わってしまうために他人から映し出された姿も真実とは言えない
こんな詩(うた)を紹介します
『今日褒めて明日悪くいう人の口、泣くも笑うもウソの世の中』
最後に③番目の法鏡です お釈迦さんが説かれた教えそのものに映し出された姿です
つまり、本当の自分の姿というのは、形ある鏡には映し出されない、仏の教えによってのみ真実の自分が映し出されるのです
お釈迦さんの遺言にこう書かれています
『今われは汝らに法鏡を授けるであろう』
さて、法鏡に映し出された自分とはどんな姿をしているのでしょうか
次回に紹介したい思います