永代経法要

近所の道場にて永代経法要が勤まりました

毎年行われる隣の道場にての永代経法要に行ってきました

区民の皆さんに掲示板にてご案内があり、たくさんの方がお参りにみえられます

世の中コロナ禍にあって開催も危ぶまれるところですが対策しての実施の運びとなりました

永代経とは

「えいたいきょう」と読みます

とはながいという意味です とは代々という意味です とはインド語でスートラと読み、糸とか綴ったものという意味で、お釈迦さんの言葉を集めたものという意味になります

お釈迦さんのお経は8万4千の経典があると説かれています 莫大な数の経典があるということです

浄土真宗ではその中でも

『仏説無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の3つの経典をよりどころとしています

これらを浄土三部経と呼んでいます

先に亡くなられた方々をご縁としてお参りをするわけです

午前中は『仏説無量寿経』をお勤めして、その後お説教がありました

そのお説教の中でのほんの一部を紹介したいと思います

あるご法座(お説教の場)で目の前に小学生ぐらいの女の子がちょこんと座ってお説教を聞いておられて

1座の法話が終わって、布教使(ふきょうし)が控えの間に戻り、そのお寺の坊守(ぼうもり)さん(住職の奥さん)がお茶を持って来られた時に、その坊守さんに熱心な女の子がおられましてねと話をすると

その坊守さんはうちの娘ですと答えられたそうです

布教使の方はすごい子ですねと応えるとその坊守さんはその娘のことを話し始めたそうです

幼い時に不治の病にかかり闘病生活が長かったそうです

お医者さんから非常に難しい手術になりますが受けますかと言われ同意の署名をしたそうです

おかげさんで手術は成功しました

子どもさんは大喜びでその後のリハビリも頑張ったそうです

坊守さんはそんな自分の娘にこう言ったそうです

『病気は治ったけど死は免れないよ』と

いくらお寺の奥さんとはいえ自分の娘にこの言葉を言えるかって言えませんよ

あー、よく頑張ったね治って良かったねと言うのが普通じゃないですか

これ以上細かい話は今回のお説教ではありませんでしたが

すばらしい話だなと思いました

お寺の奥さんとは言え、お寺の子どもさんとは言えすごい!

私たち誰しもがこの悩みを抱えています 苦しみを抱えています

それが煩悩(ぼんのう)なのです

生まれたものは必ず死にます 病気で死ぬか事故で死ぬか老いて死ぬか それは死因ではありません

死ぬ縁がそれであったというだけです

死因は生まれたからです 全てのもの生があるから死があるのです

この言葉はきついですね

だから、親鸞聖人は「生死出ずべき道」と、蓮如上人は「後生の一大事を心にかけて」とお教えになられています

これが浄土真宗の無常観なんです

生死出ずべき道、後生の一大事の解決のためにお説教を聞くのです 聴聞するのです

阿弥陀さんの声を聞くためにこの女の子は法座の一番前に座っておられたことと思います

この世はコロナ禍にあって不安いっぱいの中での生活を送っています

コロナだけが死の縁ではないのですが

早く死の解決をしたいものです

合掌

 

 

 

 

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