真実の自己とは(No.3)
三悪:殺生、偸盗、邪淫
体で行う悪の中でもこの3つが代表的な悪で、三悪と言われています
お釈迦さんの説かれる仏教では、一切の衆生「しゅじょう」(生きとし生けるものすべて)が仏のお慈悲の対象です
よって、あらゆる生物の生命は同等に敬います
「殺生」・・・殺すこと
殺し方に3つの方法があり
1. 自殺 ・・・自分自身で直接殺す
2.他殺 ・・・間接的に他人に命じて殺す
3.随喜同業「ずいきどうごう」・・・自分に関係のない人が殺生しているのを見て楽しむ。肉を食べて喜ぶこともこれに当たります
みなさん、どうですか? ほとんどの人が随喜同業しているんではないでしょうか。
人間というのは、他の命を頂いてしか自分の命を保つことは出来ないことに気づくべきと思います
ところで、この3つの中で1番罪深い殺生はどれだと思われますか?
「偸盗」・・・他人のものを盗み取ること
『お経』には、「己にふさわしからぬものを多く用い、又は食する者はすでに盗みを働いた者」と説かれています
「邪淫」・・・自分の妻に満足出来ず人妻と通じること
人間は『曽無一善、一生造悪』一生の間、一つの善も出来ず、悪のみしか造れない
いや、そんなことはない!親切したこともあるしと言いたい!
だが、我々の行う善には毒が混じっていて、仏さんの目からみた真実の善ではないと仏教では説いています
そう言うのならもう親切はやめておこうかと思ってしまうが、そうではなく善行は積みなさいと教えられます
仏教の罪悪や無常を説かれると虚無主義かと言われますがそうではありません
仏様から見た人間の姿はそうだというだけで、その次が大事なんです
ではこんな身の私はどうしたら覚りの境地になれるのかと問うわけです
それを示されたのが仏の教え、仏になる教え、仏が説いた教え 経典です
どんな善行を積んでも積んでも積んでも善行は出来ないなと気づけるのは善行を極めた者にしか見えない世界
万事そうだと思います。努力に努力を重ねた人にしか努力は難しいものだと気づく世界があります
だから仏教は行学「ギョウガク」と言われます 体験の教えです